約3年間ありがとう
【2020/06/19】 駄文
先日、6月16日16時55分に友人の愛犬が推定13歳で虹の橋に旅立ちました。
なぜ推定かというと、捨てられていたのを保護したので、歳も誕生日もわかりません。



友人とは自分が学校に通うために福岡に出てきてから就職して転勤するまで6~7年間ルームシェアをしていて、その時に友人が飼い始めたミニチュアダックスを2匹、一緒に面倒を見ていました。
自分の犬ではないけど、子犬の頃から一緒なので我が子のような感じでルームシェア解消後もちょくちょく会っていたし、よく預かっていました。
そんな2匹が虹の橋に旅立った半年後に、友人の知り合いのトリマーの方が捨てられている所を保護して、友人が里親になりました。

保護された時、吠えないようにか口の周りにワイヤーを巻き付けられていました。
引き取った後に病院で一通り検査してもらうと、推定10歳前後との事でした。
ワイヤーを巻いていた部分は骨にまで跡が残る程で、捨てる時だけ巻いていたのならそうはならず、日常的に巻かれていた事がわかりました。
そして肉球はツルツルで散歩をしていた形跡がありませんでした。
また、眠くなると足元を前足で払いのける癖があって(足元に何もないフローリングでも)おそらくいつも汚れたペットシートを自分で払いのけて寝る場所を確保していたのだと思います。
以上から、ペットとしてではなく悪質なブリーダーが繁殖用に狭い所に閉じ込めて劣悪な環境で飼育していたんじゃないかとの事でした。
健康状態も良いとは言えず、歯はボロボロで骨が腐りかけていたので、必要な歯を除いて全て抜き、腫瘍なども取り除いて、去勢もしました。
そういう医療費をかけたくなくて捨てられたのだと思います。

10年近くそういう境遇に置かれていた事には心が痛むし、はっきり言って元飼い主には殺意に近い怒りも感じます。
でもそんな事をされても人間不信にならずに誰にでも懐く良い子でした。
先代の2匹と同様にちょくちょく会っていたし、フリーランスで在宅になったので、預かる頻度も期間も増えて、先代2匹がいなくなった心のスキマに寄り添ってくれました。



もちろん、殺処分だったり若くして病気だったり、もっと不幸な境遇のペット達はいるんですが、この子が生きた証として少し思い出を振り返ろうと思います。

まず、基本的に色々な経験ができなかったせいでちょっとおバカで運動神経も良くなくてどんくさいんですが、そこが可愛かったりします。
先代の2匹は軽々とジャンプで昇れたベッドも踏み台のような補助が必要だし、前足を乗せた後に後ろ足も乗せるという事がわからず昇れなかったり、散歩の時も縁石程度の段差も昇り方がわからない位です。



誰にでも懐くと言いましたが、特定の人物に固執しないという事なので、友人が迎えに来ても喜んだりせずにノーリアクションだったりします。
たぶん、誘拐されても飼い主を恋しがったりせずに誘拐先でのほほんと暮らすと思います。
先代2匹は逆にベッタリで常にこちらの動向をチェックして、寝ていてもドアを開ける音で起きたり、トイレにもついて来るし、見えなくなると鳴くし、入浴やちょっとした買い物も大変でしたが、この子は鈍いおかげで手がかかりませんでした。



先代2匹はオムツを嫌がるし、ウチではトイレの位置を覚えられなかったので目を離す時にはサークルに入れないといけなかったけど、この子はオムツも気にしなくてトイレの失敗もほぼ無くて、オムツ姿も可愛い。

今まで散歩という概念がなかったからか、あまり散歩は喜ばず、おもちゃを与えても興味を示しませんでした。
その代わり食に対しての執着はすごくて、普段はおとなしいけど食べ物を目の前にすると我慢できずに吠えまくってました。
おやつの匂いがするといつもより少しだけ運動神経が上がります。



ここまで執着が強いのは、愛情も与えてもらえずに楽しみが食べる事だけで、生き甲斐を食に全振りしていたのでしょう。
もしかしたら満足した量も与えてもらえずにひもじい思いをしていたのかもしれません。
でもだんだん落ち着きを覚えて、待てが出来るようになり、嫌いなおやつは食べない贅沢さも覚えてきました。



ワイヤーの跡は消えなかったけど、保護して一年経った頃から何故かその部分の毛だけ伸びてきました。
今まで抑圧されてた反動なのか、弱い部分(触ると嫌がる)を守ろうとする反応なのかはわかりません。
季節によって目立ったり目立たなかったりですが、風になびくほど伸びる時期もあり、痛々しかったワイヤーの跡も気にならなくなってチャームポイントの一つになりました。



実家でもミニチュアダックスを飼っていて、亡くなってからは父がペットロス気味だったので、たまに連れて帰ると喜んでました。
フリーランスになって収入もまだ安定しない自分にとっては数少ない親孝行でした。
ちなみにミニチュアなのに10kg近くあったので、新幹線で連れて帰る時はちょっと大変でした。
初回はおやつで気を引く作戦が効かない位そわそわして落ち着かずに鳴いていたけど、2回目からはキャリーの中でもおりこうでした。



そんな中、去年の夏頃に癲癇(てんかん)による痙攣を起こすようになりました。
完全に治す事はできず、長く付き合っていくしかないとの事で、薬である程度抑えられて普通に生活できていました。
しかし先月末に以前切除した腫瘍がまた出来てしまい、再度手術で切除も考えましたが、癲癇持ちは全身麻酔で植物状態になる確率が高いとの事で断念せざるを得ませんでした。
切除できないので余命は半年~1年で、もし骨に転移した場合はかなりの痛みを伴うので安楽死も考えた方が良いと。
なのでこれからは美味しいものをいっぱい食べさせてあげようと言ってた矢先の事でした。
コロナの影響でずっと会えてませんでしたが、先週末に久しぶりに会う予定だったのが、木曜に急に癲癇が再発して24時間痙攣が止まらなくなりました。
会うのは中止になって土曜の時点で安楽死を覚悟してと言われました。
預かって実家に連れて帰る時も友人は常々「もし実家でもしもの事があっても延命措置はせずに逝かせてやって」と言っていました。
でも土壇場でやっぱり安楽死は中止して、出来る限りの延命措置をする事になりました。
確かに安楽死も苦しまないようにという優しい選択肢の一つだと思うけど、飼い主にとっては辛いと思います。
もしかしたらずっと心の中で「もっと手は尽くせなかったのか?」という後悔が残り続けるかもしれないから。
土日は家で点滴をしつつ2時間置きに鎮静剤を注射して、まず癲癇が起きなくなりました。
それでも意識が戻らないので月曜からは日帰り入院をさせて、夜は家で2時間置きに体の向きを変えたり、マッサージしたりオムツを変えたり献身的に看病したそうですが、火曜の夕方に病院で息を引き取りました。
意識が戻る事はなかったけど、苦しまずに安らかに逝ったのは救いでした。
できればもっと美味しいものをいっぱい食べさせてあげたかったし、せめてもう一度元気な姿を見たかったです。
コロナの影響が出た後も在宅なのであまり今までと変わらない生活をしていたけど、この時はコロナを憎く感じました。

火葬の前に一目だけお別れをしてきました。
今でも10年余りを奪ってきた元飼い主には腹がたつけど、最後の3年だけでもきっと幸せだったよね。
自分も3年間楽しかったし、色々な物を貰いました。
むこうで先代2匹と仲良くなれるといいな。
ありがとう、おやすみ。またね…